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暫定版-分岐をどう見ているのか [生物]

この見立てが妥当かどうかは正直まだよく分からない。 」と言ってそれっきりになっているが、別に飽きちゃったとかではない。

O氏(M氏?)の指摘にあるように、基本的な立場として、システムを外側から観察するのではなく、システム自身の視点から見る、というのを試みてみたらどうなるじゃろか、というのがポイントである。
種という何かをシステムとして扱ってみるとして、これはオートポイエーシスなんじゃなかろうか、という仮定の下、もしそうだったとしたらどういうふうに見えるのだろうか、というのを、とりあえず行けそうなところまで行ってみよう、というようなこと。自分で言い始めたくせに、実はかなり疑りの目で見ているのも事実である。




O氏(M氏?)の指摘を含みつつ、ひとまずある種が複数の種へと分岐するところを、ここにおいて現時点の私はどのように見ているか、というと。
分岐する前の状態を個体群Oとでもしておいて…、分岐する際、個体のネットワークに粗密の偏りが現れ、時間経過に伴って極在してゆき、あるところで複数の個体ネットワークに分裂する。仮に個体群A、個体群Bに分裂したとして、その瞬間に個体群Aのシステムにとって個体群Bのシステムを構成する構成素(個体)は個体群Aのシステムの維持に全く関与しない環境となり、逆もまた同様となる。もちろん、AはかつてOだったときからただ自分自身を維持しているだけで、分岐したという認識は全くなく、逆もまた同様となる。
個体群Aのシステムにとって、自分自身とは、Oだったころから現在までに至る1本の線がそれに対応しており、それ以外の全ての線は、自分自身の維持に関与しない環境である。そして、個体群B、C、D、E、・・・いずれも、一部を共有しつつOからそこに至る1本の線を各システムの全体としている(もちろん、各システムはそれぞれが時間経過に従って変化しつつも自分自身を維持しているだけで、他の何かと一部を共有していた、という認識は全くない)。樹状図で言うと、一つ一つの枝の先端それぞれにとって、根っこから先端に至る1本の線がそれぞれのシステムにとっての全体、という感じ。
なお、言うまでもなく「個体群O」であるとか「分岐」であるとかいった言葉は外部から観察した立場から表現したものなので、その点は注意が必要。




毎度なにやらもっともらしく言っているが、多々の問題をはらんでいるのも事実である。そのへんはまたいずれ。
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