SSブログ

これが世に言う「データ取りません、勝つまでは」ってやつなのか?? [一言]

クオリア!

あ、いや、なんとなく叫んでみたくなっただけ。

「分かりやすい」→現実がどうかはさておき、とにかく脳の既存の認識機構(がどういうものかよく分からないけど)と親和性の高い何か:脳によりよくフィットしている
「分かる」→より現実の説明に合っていそうな何かにあわせて脳の認識を再構築し続けていくこと:実情によりよくフィットしている
と、暫定的かつ大雑把に置いてみた(大雑把すぎてほとんど何も言ってないんだが)。なんてことはない、脳は脳で環境と無関係に勝手に動いてますよ、ということに意識的か否か、というようなこと。

件の例に関しては、たぶんかなり極端なケースだと思う、というのと、ぐだぐだの果てに、どうやら「ビジュアルが悪い」というような話になったっぽく(という認識でよいのかどうかも正直よく分からない)、これ自体は放っておいてよさそう(なんで放っておかれるのか、という点はK氏の指摘の通り。また、リソースが限られている以上、実害が出ない限りそっちに手を回していられる人もたぶんほとんどいない)。

よくは分からないが、とりあえずなんかそんな感じじゃなかろうか、と分かった気になっておく(コストかけたくない)。




で、さっぱり分からないのはここから先。

ちらっとそこから先のサイトを覗き見てみたのだが・・・もはや「分かりやすい」とか「分かりにくい」という(私もしくは我々が想定していた)問題では無くなっているんじゃなかろうか、というような気がしないでもない。

いくつかの情報(内容の妥当性は問わない-事実かもしれないし、妥当でない情報かもしれないし、それ以前にただの思い込みかもしれない)から“演繹的”に「お話」を展開させてゆき、その途中途中で「お話」を補強する情報(もちろん妥当性は問わない-都合良く偏った情報かもしれないし、やっぱりただの思い込みかもしれない)を織り込んでゆき、「何やら壮大な物語」ができあがると、どうもそれを「そこそこ妥当な仮説」と認識するっぽい。・・・ような気がしないでもない・・・んだが、はて、はて?(前述の通り私にはこのへんさっぱり分からない)

カッコ書きにしつこく「ただの思い込み」というのを入れたのは文字通りのことで、現場に出ろとか論文を読めとか教科書を読めとかせめて良質の一般書くらい読めとか、もうそれも譲る。Googleのイメージ検索で日本語のごく一般的な呼称を1つ入れるだけで、「お話」の前提の1つがぐちゃっと凹むような画像が5桁のオーダーで出てくることもあるのをどう見ている(いや、たぶん見ていないんだが)んだろう。ネタ?

ひょっとすると、物事の認識の仕方が、まるで違うのかもしれない。なんだろう、研究している人やフィールドに出ている人にとって、複雑で多様な現実が常に目の前にあるのに対して、何やら純粋に自分の頭の中だけで非現実的なまでに単純化させた何かをひたすらこねくり回しているような?・・・いや、どうなんだろう、ともかくさっぱり分からない(そのへん「分かりやすく」説明してくれ、と言ったら悪い冗談にもならない)。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。